2012年3月28日水曜日

「仙道Q&A」


 


「仙道を学ぶ」

Q;誰か教えてください。東京近辺で「仙道」などを教えているところは無いのでしょうか。またどういうネットが仙道にはあるのですか。この道のことはまだよくわかりませんがどなたか知っていれば教えてください。よくこういう分野では「師」につくことが必要とされているようですが、皆さん、「師」としてふさわしい方があれば推薦して下さい。

A;以前は天野さんという歯科医の方が10名前後の人を対象に教えておられたと思います。まあ、これは「天野塾」のようなもので月1回ぐらい東京都内でやっておられました。もう4-5年ぐらい前のことです。天野さんはもう8-9年ぐらい前から「仙人の庵」というhpをやっておられ、いわばネット仙道の皮切りみたいな存在でしたし、掲示板も多士済々で結構面白かったです。そのころのhpでは「天経地義」がありこれは現在もやっておられますね。いま「仙道」を掲げてやっておられるのは「仙道連」あたりでしょうか。そのほか時々ネットで見かけますが、その中身はわかりません。「師」については、確かにそういう人がおられれば、そういう方に付くのが一番だと思います。それを見つけることが容易ではない と思います。
昔から仙道では「必要な時に必要な師がみつかる」といわれており、中国などで過去に「仙道」に入っていった人達のいくつかの例をみると、そのことは確かにそうだと思わせるものがありますが、いずれも歴史上の逸話であって現代の日本で、そういう仙人がおいでになるのか、ならないのか。ちょっとわかりません。何よりも自分の目で探してみる事です

 

「練習時間」

 

Q; 私は現在、主に高藤本を読んで仙道修行に1日3~8時間費やしています。仕事の都合上時間的にばらつきがありますが、1日平均5時間位です。しかし始めてまだ2年しか経っておりませんので行が進んでいるのかどうか自分では分かりません。質問なんですが、例えば4時間修行に費やすといたしましたら高藤本で言う内功2時間、外功2時間といったように内外を半々くらいにやる方が良いのでしょうか?それともどちらかのみを徹底的にやった方がよいのでしょうか?
恥ずかしいのですが、現在の私は内功をすると20分くらいで眠気に襲われるので20分交代くらいに内功と外功を交互にくり返しています。高藤本の『驚異の超人気功法』には「連続」して数時間行わなければならないと書いてあったよ� �な気がします。私のやり方では進歩がないでしょうか

 

A;私たちは通常サラリーマンだったり、主婦だったり、学生だったり、何か仙道いがいの「本来のもの」を抱えています。確かに「修行」という意味では1日5時間も練習できればいいに決まっています。また、最初から「仙道で行こう」と自分の人生を決めてしまえるわけでもありません。もし過去の時代の中国で「道院」に入道することを、若くして決めれば、あるいはそういう状況が生まれてくるかもしれません。しかし、通常の私たちの生活ではそこまで「決めて」しまえるかどうか。従って「5時間」は無理としても朝・夜に30分ずつ、それから昼間、通勤の時間、通学の時間、あるいは仕事の合間や勉強の合間に30分ずつ2回。そうすれば最低2時間。これぐらいの時間は、通常の生活の中でも仙道練習のた� ��に取れるのではないかと思います。大切なのは決まった時間に「毎日」修練する習慣を身に着けることです。あまり5時間とか、そういう時間の幅にとらわれず「毎日」決まった時間に30分ずつでも修練すること。そうすれば身体が、自然に「仙道」を覚えていきます。「仙道」の修練とは、まさに「身体」に仙道の各教程を覚えさせていく過程にほかなりません。

 

 

Q;最近、すごい忙しく、残業も入れると12時間は(自宅に居るときも混ぜてですが)仕事してます。25歳なのでまだ無理は利くとおもってます。しかしこのままこの状態が続くとはとても思えません。再就職なども考えましたが、収入の面では不満がないので続けたいと思ってます。そこで何とか生活に余裕をもちたいのですが、睡眠時間は気功、仙道やることである程度削れるものなのでしょうか。今は家にかえってきて、8時間ねてまた出社です。このくらい寝ないと、私の場合疲れが取れないため、なんとか削れないかなと思ってました。何かいい方法はないでしょうか。こういう目的に仙道、気功やってる人は少ないのかもしれませんが。。。

 

A;いまはサラリーマンにとっては、どの分野もきついようですね。即効性はそれほどありませんが、その問題は仙道、気功の類を修練する事で、ある程度解決すると思います。そもそも「睡眠」というのは「脳」を休ませる為に行われている行為です。ところが、最近は寝ていても、「意識」が緊張していて、「脳」が休んでいないヒトが多くなっています。夢を見たりすると、「脳」はその間働いていますので休みにはなりません。その他でも最近は睡眠中も「脳波」が覚醒を示しているヒトが多く、本当の眠り、「脳」の休息にはなっていないのです。仙道や気功を続けていけば、目覚めている時も「脳」を休息させる、あるいはそれと同等のレベルに「脳」を置く事ができます。「脳」が本当に休息し、熟睡状態に入れば実質的� �は3時間ぐらいで睡眠は足りるはずです。起きていても、仕事中でも、「脳」を少し休ませる技術を仙道・気功から是非身につけてください。

 

 

Q;私は3年前から仙道をしているんですが、3年前の11月のはじめに小周天になったのですが、それ以来今日まで一日も欠かさず小周天もしくは全身周天をしています。これからも毎日欠かさずやっていこう、と思うのですが、自分の親が死んだり、結婚相手の親が死んだりしたときは3、4日できないと思うのですが、小周天を4日やらないでおいたらレベルがズトン、と落ちてしまう、ということはないでしょうか。

 

A;やはり4日何もしていないと、一時的には「感じ」が出て来るのが、どうしても遅くなってしまうでしょう。それはしかたないと思います。しかし「仙道」のいいところは、身体が覚えていて、もう一度「小周天」などを何度も繰り返していけばリカバリーできるということです。やり方によっては一日でも回復できるでしょう。私は昔、高藤式で「光の球」を作って、下丹田に「胎」を抱いていた時があります。その時富山県にいってラジウムなど放射性の強い(多分)温泉に入った時、温泉から帰ると「胎」は消えてしまいました。その後「小周天」をやり回復しましたが、こんどは検診でレントゲンを受けたあと、また消えてしまいました。そこで200回ぐらいも「小周天」やって液体状の「大薬」が発生してきた経験があ� �ます。結果としてはよかったと思います。高藤式でやっていたのは多分「幻胎」だったでしょうから。

 

「呼吸法」

Q;僕はここを拝見して、仙道に興味を持ち始めてみようと思ったのですが、呼吸法が半文息、武息、文息の三つあり、それぞれのおおまかなやり方は分かったのですが、詳しくは分かりませんでした。よく調べもせず、このような低レベルな質問をするのは、誠に失礼だと思ったのですが、もしお暇があり返信をして頂けるようなら嬉しいです。

A;呼吸法の件ですが、ご指摘の三つのうち、最も重要なのは「武息」ではなかろうかと思います。「文息」は普通の呼吸、「半文息」は「武息」を加味した「文息」だと考えればいいと思います。そこで「武息」ですが、鼻から息を吸い、同時に下腹部を膨らませ、その息を出来るだけ長く溜
めるよう頑張ります。そして呼時には出来るだけ下腹部を緊縮させて背中に腹がつくような感じにします。これが「武息」の形ですが、問題は呼気と吸気の長さです。基本は呼気と吸気の長さをほぼ同じ長さでやればいいと思います。そしてこの呼気と吸気の長さを徐々に長くして、出来るだけゆっくり長く出来るようにします。これが基本ですが、パターンとしては呼気(長く)と吸気(短く)。さ
らに逆に呼気(短く)と吸気( 長く)。この三つのパターンがあるのが「武息」です。「文息」は力をいれない普通の呼吸。「半文息」はその中間です。

 

Q;今たいへん悩んでいます。丹田に陽気をためようとがんばっていたんですが、いままでずっと変化がなくて今日反応があったんです。
それが冷たいんです。普通は暖かいとか熱いとか圧力とかって反応があると聞きました。でも私の場合冷たいのです。たとえるなら冷シップを張ったような感じです。これはどうしたもんなのでしょうか?このまま進めててもいいのでしょうか?

 

A;普通は呼吸法(武息)をやり丹田に意念をかけて集中すれば、一度や二度では無理としても、徐々に「温感」が出てくるのが普通ですね。下丹田は、こんご「仙道内丹法」を続けられていく場合でも、小周天後期の段階には、やはり「温感」から「熱感」へと変わって、その「熱」を使って「気」と「精」を練っていくのが原則です。ですから「ぬ」さんのように、おそらく体質的なモノだと思いますが「冷感」がはじめに出てきた場合、現状に留まらず、まず「温感」に変わるまで何度か修練をさらに続けられるといいのではと考えます。「冷感」「冷たい気」を使うのも「仙道」ではありません、「レイキ」などは私の感じでは「冷たい気」を使っているように思ったことがあります。ある「霊能家」(本業は医者)の方が� ��かざしをやれば、すぐ「冷感」が相手に伝わってきます。また「気功」系でも「中丹田」を使うヒトは「冷い気」を使っている人がいます。私はあまり下丹田で「冷たい気」を感じたことはないので、いいアドバイスにはなりませんが、下丹田の「冷感」も、何度か修練して体質が変化してくれば、少しずつ「温感」に変わっていくような気がします。どなたか経験ある方はアドバイスしてあげてください。

 

Q;半年以上のブランクをうめようと一から修行をはじめました。ここしばらくの仙道修行の調子は良くて丹田に熱を発生させる段階でしたが予想以上に熱が発生し普段から熱(とまではいきませんがかなり暖かい)が下腹部に感じられました。しかし情けないことに武息が下手なせいでしょうか。鼻の粘膜が傷付き鼻血が鼻の中で固まるようなことが発生してしまいました。
文息でのれん精はあまり得意ではないので武息でれん精をしようとおもいます。
どう工夫すればよいでしょうか

A;ああ、ほぼもとに復帰され「熱」が発生するようになりましましたか?さすが「若さ」と「熱意」ですね。あるいは「集中力」。それで「武息」ですが、ログで見る限り、かなりコンをつめてやられたのか、鼻血まで出てしまって、それぐらいならいいでしょうが、「武息」をやりすぎて、咽喉や肺あるいは腸や胃を傷つけてしまう事もありますから、この「武息」の扱いは単に「呼吸法」としてではなく、一種の「劇薬」的に考えて注意しながら扱ったほうがいいでしょうね。何か障害が出てきた場合は、やり方を変えるとか、緩めるとか、、。「武息」というのは、西洋の精神世界でも「激しい呼吸」として特別視されているようです。この「激しい呼吸」だけで、一種の変性意識を作り出し、異次元を生み出すことも可能でそ� �をメインにした流派もあるようです。この「呼吸」自体が非日常的な呼吸で、同時に長時間激しい呼吸(ことに吐く呼吸)をやれば、脳が酸欠状態になってそういう異次元的な世界をつくるようです。しかしこれは一人でやれば「頭が狂って」しまい廃人になりかねない危険な修法で必ず指導者と二人ペアでやるということです。こういう急激な事を急激にやらずに、時間をかけて緩やかにやっていくのが「仙道」流です。それはともかく、ふっくんの質問のですが、ひとつの提案として「武息」をやった場合、「吐く息」の方をできるだけゆるやかに、細く長く、長ーーく、可能なまで長ーく、細く「吐いて」いけばいいかなと思います。長く、細くして、最後の方はもう呼吸しない状態で終わる。その時間を練習と共に長く伸ばしてい く。そうすると最後の方は限りなく「文息」に近くなりますし、そういう「呼吸」は「胎息」に繋がる「呼吸」であると思います。頑張って下さい。

 

Q;仙道や気功の本を読むと呼吸は

1.鼻から吸って鼻から吐く(中国仙道房中術入門など)
2.鼻から吸って口から吐く(西野流呼吸法など)
3.口から吸って鼻から吐く(無病長生法など)
4.口から吸って口から吐く(これはありませんが強いて言えば力抜山の借力)

と4パターンありますが、各々が他の呼吸法はダメだと言っています。
特に中国仙道房中術入門では風邪で鼻がつまっている時は治るまで呼吸法を
してはいけないとまで書いてあります。
だだなぜ自らの呼吸が良いのか、理由を書いてあるのは無病長生法のみでした。

皆様はどのような呼吸で修行なさっているのでしょうか?
 

A;呼吸についても、実にさまざまな方法があるものですね。ひとつは、何のための「呼吸」ということもあるような気がします。いずれにせよ、「呼気」でも、「吸気」でも、最初は別にして、慣れればともに、「長ーく、長ーく」、引いていくことが必要な気がします。そういう精神で、あまり細かく考えないほうがいいのでは?と思います。

 

Q;気の濃淡、気の強さって、どういう風に感じるのでしょうか?やはり何がしかの訓練(気に関連した)をしなければ普通の何もしない人が感じるのは珍しいことでしょうか?それと気の強いことイコール気の質が良い・・ということではないと思うのですが、この辺りはいかがでしょう。
気の質の良さは何となく気持ちがいい感じ、逆に気の質が悪い
場所は気分や気持ちが悪くなるとかでしょうか。

 

A;これは、私の感じることなので、必ずしもオーソライズされているかどうかということとは別問題です。「気」を感じるには、やはり「修練」が必要です。最初はみんな「普通の人」ですから、別に取り立てて難しいことではないのですが何よりも大切なことは、毎日時間を決めて、継続してやることです。
「修練」には気功、仙道、ヨーガ、瞑想行など様々なものがありますが、自分と相性のよいものを選ぶと長続きさせることが出来ます。これらの「修練」は結局なにをやっているかというと、ひとつは「意識」の純化、もうひとつは肉体の純化です。私達はこの社会に何十年か生きてきて、自分の意識にも肉体にも、いろいろな混ざり物(必ずしも不純とは限りませんが)がいっぱい詰まって、真実自己、真実の意識、真実 の肉体とはなにかわからなくなっている状態です。これを出来るだけ「純化」の方向に向かわせる、、それが各種「修練」です。そしてそれら「修練」によって、「純化」が進み、いわば意識と肉体に「空」とか「虚」とかいう状態が出来てくれば、逆に外から宇宙本来の素で
ある「気」が入り込んでくるようになります。つまり人は何十年かこの世に生きてきて、つまらぬものを一杯詰め込んだ形になっているので、これを生まれる前の状態にリセットし、そこに何もなくなれば(この感覚は言葉ではいえません)、本来この宇宙を形作っている「気」が入り込んできます。
それを「内気」という形で自分の中に感じるとき、ひとは「気」を感じることが出来ます。Q;読んでいてびっくりしたのですが、一瞬で数千里を移動した り、どんな小さなものにも入り込める・・・っていうのは本当ですか?もし出来るなら何をすればいいのですか?教えて下さい<(_ _)>

 

Q;90日呼吸の練習してるって書きましたがどのようにしてるかってーと、部屋で立って音楽聞きながら、息をおなかへこましたりふくらましたりーで吐いて吸ってっての繰り返しだけなんですよ メルマガ読んでたらやっぱり我流だな・・・・って考えさせられました こういうやり方じゃやばいですかね? ずうずうしいですがもしよければアドバイスくれませんか?

 

A;仙道の「呼吸法」はある意味では独特です。「文息」というのは、まあ普通の「呼吸」ですが、「武息」というのは意識的にやる呼吸です。貴方の場合、ラジカセ聞きながら、立ってと言う事ですが、まずラジカセを外して、静かに座りましょう。というのは確かに「呼吸法」ではあるのですが、同時に「意識の集中」を繰り返してやる事が必要なので、他の音、他の声は「意識の集中」を妨げるからです。部屋を静かにして、静かに座って(「あぐら」でいいです)、自分の「心」「意識」を下丹田(腹部)の中心に「集中」させながら、「武息」の練習です。

 「調息」       3分

はじめに下腹をへこませながら長く吐けるだけ息を吐く。それが終わるとまたへこ
ませながら長く息を吐ききってしまう。おなかの� ��の息を全部吐ききるつもり。

 「武息」       5分

息を吸うときに下腹を膨らませ、ぐっとこらえて下腹に息をいっぱいに貯め、いわ
ゆる「蓄気満相」となる。肛門を閉め、我慢できるまで耐えて下腹を膨らまし続
け、限界まできたら、今度はできるだけゆっくりと息を口から細く長く出してい
く。熟達するほどに、蓄気の時間が長くなり、息を細く長く出すことができるよう
になる。これを20回。武息を用いて、正念を気の動く場所に深く入れます。生じ
た精を丹田穴に入れ、神と気を交わらせて一つに集め、そのすぐ後、再び文息を用
いて温養し、呼吸することも意念をかけることも忘れ、さりげなく意識している
と、やがて「陽気」(内気)が生じます。

 「小周天」      30分-50分

①さきの「武息」は下丹田に「陽気」(内気)を発生させるための行為。「陽気」
が発生したら身体の周囲が融和したように感じ、手足はむずがゆく、心はぼんやり
して酔ったようなほうけたような感じになります。また、陽物(生殖器)が勃起
し、精が生じて気が動き、「任脈」と「督脈」が自然と開きます。

②時を待って「陽気」(内気)を採ります。固くもなく軟らかくもない、一塊の
「暖気」それが陽気です。これが形成されたという感覚が生じますと、元気がすで
に満ちあふれ、陽気が生じる時であることがわかります。時期を捕らえ、速やかに
武火(武息)を起こし、意識して呼吸し、「神」を凝らして(精神集中して)気と
一つにして陽気を下丹田に投入します。


嚢胞性線維症の症状は何ですか

③「陽気」を下丹田に投入した後、下丹田で文息(文火)で5分ほど温養し「神」
(意識)をかけてさらに気を固定させます。

④その後、速やかに火を起こし、文息を武息にして柔らかな意念(意識集中)から
強い意念に変えます。こうして火加減を強めて「陽気」を煮詰めて煉り、「精」を
気(キ)に変えます。こうしてできたものが「小薬」です。こうすることによって
「精」が外に漏れるという患いを絶ってしまい、武息のあと再び文息を行います。

⑤柔らかい意念にもどし、心と呼吸を助け合わせて丹田を常に温めます。火候(火
加減)が十分に足り、真気が充満して散らなくなりますと、いよいお関が開く時。

⑥この時丹田は発熱し、熱が極まると小薬は動き始めます。気が足りていると関に
突き当たるようになるので、小薬を急いで吸い取り、会陰から尾閭に引き入れま
す。
⑦つぎに小薬を身体の後を走る「督� �」に沿ってまず腰の中心のツボ「命門」まで
引き上げます。そこまで持っていったら文息に切り換え5分ほど少し温養。

⑧さらに同様に、武息で首の後ろのツボ玉沈まで「小薬」(陽気)を引っ張り上
げ、そこで文息に切り替え5分ほど温養します。

⑨次に同様に頭のてっぺんのツボ「泥丸」に引っ張り上げ、文息で5分温養。泥丸で
少し停めた後,今度は身体の前面を走る「任脈」を通って下降し「丹田」に戻しま
す。

⑩一度気が動き出したら、薬を採って督脈・任脈をまわし一周天を煉り終わらなけ
ればなりません。動いてまた動き、煉ってまた煉って、回してまた回すようにしま
す。何度も何度もこの小周天を繰り返してうまい具合に修練が進むと、一回の吸気
で「神」と「気」が天頂に上が� �、一回の呼気で神と気が丹田に戻せるようになり
ます。

⑪さらに進むと呼吸のたびに一回循環するようになります。こうなるとしめたもの
で、小周天の行に入ったとたんに、「神」は「気」の動きに付き従って「任脈」と
「督脈」の2つの脈に沿って止むことなく巡るようになります。逆にいえば、そう
いう状態になるまで集中して「神」を習慣づけることが必要なのです。

 

「清静派」

Q;ヨガを習っている者なのですが、ちょっとお聞きしたいことがあり発言させていただきました。仙道には色々な流派があるそうですが、清静派という流派はあるのでしょうか?何でも奥義伝承の内容がヨガにそっくりだそうですが、どんな内容なのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃったらお聞きしたいです。

 

A;清静派という、流儀がいつごろからのものかは、よくわかりませんが、現代中国の一部にある(と思われる)仙道の中に根付いていることは確かのようです。古くは老子などの「文始派」、あるいは「伍柳派」など、基本的に独りで、静座を主体に修練する「派」と言う事でしょうか?わざわざ清静派というのは、そうでない修練方式の派があるからです。男女双修といって男女ペアでやる方法やいわゆる「静座」ではなくて「存思」を主体にしたものとか、、。茶飲さんもおっしやっていますように、「仙学研究舎」の「付録」の中に「清静派内丹法の手順」というのがあります。これは現代中国の何かの雑誌に発表された中国研究者の論文のようなものですが、大変優れた実践書です。私自身、当初は「高藤流」でやっておりま� �たが、「小周天」以降がどうも違うような気がしていたのですが、その当時このレポートに出会い、眼を開かされた感じがしました。これは「伍柳派」をベースにしたものだと思いますが、当時プリントアウトしてぼろぼろになるまで何度も使った記憶があります。実際の「仙道内丹法」修練には役立つ書です。

 

 

A;できるだけ誠実に、真実に基づいてお話しなければなりませんが、おっしゃっているような事、可能なのか、不可能なのか?今の段階では?の状態です。現実にそういう方を知っていて、充分検証に耐えれれば「出来ます」と言えますが、誰がお出来になるのかそれすらも分りません。出来る方が現実にいたとしても、貴方や私がその通りやったとしても出来るかどうか?ただ「仙道」の伝承の中にはいくつか、そういう事例がありますが、これも何百年も前の中国の話です。いずれにせよ、それは「大仙人」にならないとダメでしょうね。「大仙人」への道、それはまず200年ぐらい生きてみる事です。そのためには「仙道」を地道に毎日やってみる。そしてある段階、それは皆さんの言う「大周天」とか、あるいは「煉神還虚� �とか「還虚合道」とかいう修練の段階を通り抜けて、なおかつ「仙道」を何十年も毎日やっていれば、あるいは到達出来るかもしれません。その前に60とかあるいは80か90歳ぐらいで寿命がなくなってしまうかも知れませんが、その時は「ごめんね」という事になるだけです。修練を継続してやる素質、修練を疑わない正直でスナオな素質も必要。「欲や得」の心では到底いわゆる「大周天」までも到達できないでしょう。「お湯かけて三分間待って」できるラーメンのようなものでもないですから

 

「クンダリーニ」

 

Q;僕は仙道を始めてから半年も経たない者です。最近は修行も少しサボりがちで生活習慣も乱れているのでお恥ずかしい限りですが自分の行がどこまで進んでいるのか分かりません。
始めの頃はとにかくクンダリーニを覚醒させたいと思っていました。そうすると12月頃に内功中に下腹部に気を感じたので力を入れるとかなりの勢いで気が直上していきました。その時の感じは自分では制御出来ない感じでした。しかしよく言われる頭頂を抜けた感じもさほど無く、それ以降の変化もあまり無いように感じました。今は調子のいいときに丹光が見える程度です。馬歩は少しずつ続けてます。僕の体験したクンダリーニや丹光は偽かもしれないのですがやはり自分では判断しかねます。もしこうじゃないかと思う人がいれば教え� �ください。

 

A;確かに、「仙道」のような内面の修練を主体にした行では、果たして自分がやっていることが、いまどのくらいの段階にあるのか、どの方向に向かっているのか、気になるものです。自分で判らないことは、まわりの人間にもわから無いわけですから、、。それと、こうした「内面」の行では「思い込み」なのか、実際なのか?そのあたりもわかりにくいですね。ある一少年さんは、おそらく熱心に、執着こめてやっておられるのでしょう。
>内功中に下腹部に気を感じたので力を入れるとかなりの勢いで気が直上して
いきました。>
これはいい感じですね。まず下腹部(下丹田)に熱感を感じるのが、最初の段階ですから、そのまま毎日時間を決めて、30分なり60分なりやってみることです。そして次は「伍柳派」� �道では、その熱気を「督脈」「任脈」に回していきます。これが「小周天」。これを毎日時間を決めて、朝晩やることが第一です。若いですから、「気」感を感じることが出来るようになれば、「小周天」も半年
ぐらいでマスターできるでしょう。若ければ上達も早いと思います。ただ横道へいかずに基礎をひたすらやることが必要でしょう。
>クンダリーニを覚醒させたいと思っていました。>
これが少し気になります。おそらく何かの知識で「クンダリーニ」について知られたのでしょう。それで目指してみようと、、。しかし「クンダリーニ」というのは、これは私だけの感じで言っているのですが、「目指す」ものではないように思うのです。長い修練を続けて、仙道で言えば「内気」が細胞の隅々ひとつひとつにまで 、行き渡るようになって初めて、ちょうど「ガスが充満する部屋」に「火」をつけた時のように、何かのキッカケで突然バクハツする。そんな感じのように偶然起こる現象のように思います。
「仙道」は長い長い道のりです。ある一少年さんは、まだまだ若いし、時間は充分ある(多分)でしょうから、あせらず一歩一歩進んで行って下さい。「仙道」には、「こういう風にやればこうなる」という修練の階梯(ステップ)があります(このhpの別のコーナー参照)。そして、その時々に「験」という「目安」があります。「験」は「思い込み」や「イメージ」ではなく、身体に実際にそういう変化が現れてくる現象のことです。ですから、それは自分の進んでいる道の一応の「目安」になります。「小周天」ー「大周天」という段� �では決してその結果はイメージ的なものやバーチャルなものではなく「実証」があるのです。ただ全く自己流にやってしまえば、イメージでは何となく出来た気になっても、それは結局は「幻」に終わります。果実(聖胎)を結ぶ事はないのです。どうか気長に、時間をかけて、継続して修練してください。そうすれば結果は出てくると思います。

 

Q;平河出版社からでている「クンダリニー」という本を買って読みました。インド人の男性でヨガの瞑想をすることでクンダリニーの覚醒ができたことの体験談でした。異常に体が熱くなり最後体の中に冷たい月をイメージすることで熱が下がった、というのは春さんと似てますね。

 

A;インド人のクンダリーニ体験談のようですが、本当に「冷たい月」のこと書いてあるんですか?驚きました。全く同じですね。僕の場合困っていた時、どこからとなく、空海からそれに結びついて行ったのですがそれとまるきり同じ事をやっている人がいるなんて本当に驚きです。

 

 

 

「馬陰蔵相」

 

Q;今回は馬陰蔵相についてお聞きしたいです。なんでも小周天をつづけ大周天が完成してしまったら性器が子供のようになってしまい性行為が楽しめなくなるのだとか。性行為を楽しめなくなるのはつまらないのでどうにかしたいのですがどなたかこの解決方法をご存知ありませんか?

 

A;これは私の愚論で、決して正論とも思いませんが、「仙道内丹法」の中で、どうも世の中の見方と違うと思われるのが二つあります。ひとつは「大周天」。これは本来、督脈・任脈の二つに「気」を周流させる「小周天」法に対応して、「奇経八脈」を周流させる「大周天」法という修練にすぎないはずなのに、いつのまにか「督脈」を噴流するモノスゴイ「真気」の流れという意味に使われていることです。もうひとつは「馬陰蔵相」。小周天の終わりには、そうならないといけないとか、あるいは「立ったしない」とか「インポテンシャル」になるとか、、。そんな事が本当だったら、若い人は誰も修練にいそしみませんね。当然のことです。これから人生を始め、その果実も楽しみたいとい時に、そんな状態になるために誰も� �りません。確かに一時期は「射精」を抑えて、それを体内に転じ「内精」として蓄えることが必要です。それがないと「内精」と「内気」を神(意識)集中による「熱」で混合・化合させる「小周天」の修練を完成させることは充分にはできません。しかし、その「抑精」状況を「インポテンシャル」にまで言及するのはいかがなものか。大体「馬陰」(馬のオチンチン)の状態(相)は普段は股の間に挟まれている(蔵)が、イザという時には立派すぎるほどにその役を果たすものです。「馬陰蔵相」はその様を言っただけではないかという気がします。ですから「小周天」を始めるのに、そんなことを少しも気にすることはないでしょう。むしろそんな事に気を奪われない、「虚」に至る心の状態こそが「小周天」修練には求められて いると思います。もうひとつ、セックスに関連して少し本來と違うぞと思うのは「房中術」です。これは昔、中国で道士が自身の生活維持のため、地方の「お大尽」に取り入るために行われた「術」で、「お大尽」の邸内に別殿を建てさせ、そこに多くの処女を呼び込んで「処女」の「精気」を自分の陰物で吸い込むことで、若く長生できるという触れ込みでやったのが始まり。それを伝授することで道士が長く碌を食んでいたわけです。これも現在の「房中術」という言葉の使い方とは違いますね。

 

Q;以前から目の前に光りの点が見えることがある、と書いたのですが、最近は時々からだに熱を感じることがあります。体に熱と言っても丹田で熱を感じることは以前からあったのですが、今では手や足に熱を感じることがあります。手や足に熱を感じるのは行が進歩したことと思ってもいいのですが、馬陰○○になって大事な物が使い物にならなくなったら困るからあまり行を進めるようにやらないで現状維持を目指そうか、とも思っています。私はまだ独身で未婚なのでこれから結婚しなければならない子供を作らなければならない、ということになると馬陰○○になんかなっていられない、と思います。結婚して新婚生活を楽しみ子供が2人か3人くらいできたら行が進歩するように励もうかとも思っています。まあ、なんと� ��なるでしょう

 

A;仙道と自動車免許の話は面白いですね。そこで私、以前も感じてはいたのですが、最近強く感じる事はこの「仙道」という「道」は「免許」は取れても、そこから始めて「実地」が始まるので「免許皆伝」はこれは死ぬまでないのではないかということです。「小周天」「大周天」「還虚」ときても、これらはいわば「教習所」での修練ですね。ほんとうはここからがスタートなのではないかという感じが強い。以前から感じていたのは、これは取り様によっては大顰蹙を買いかねませんが、たとえば「小周天」の段階で早くも「仙術」の修練に手を出す人がいますが、「仙術」は「免許」取ってからでないと余り「意味ないじゃん」ではないかと言うことです。免許取れても、さらにその上に「合道」があって、「虚空粉砕」があ� �。そこまで行かないとあまり「意味ないじゃん」。そう考えると、「仙道」もこれはもう果てしない「エンドレス」物語見たいものになってしまいますね。それでも「仙道」やっていくのかどうか、私たちが常にそんな事を問われているようでもあり、、、。

 

「小周天」

Q;仙道について段段興味が沸いてきて、いろいろネットを検索して、仙道の参考書などを探しました。高藤聡一郎は今販売していないのが多くて、学研の「超能力秘法!仙道入門」だけ本屋で買いました。その他ではどんなものがあるのでしょうか?また仙道にはいろいろな派があるようですが、どこかで仙道教えているところはあるのでしょうか?また「小周天」ができるのにはどれくらいの時間が必要ですか?初歩で申し訳ないのですが、教えてください。また仙道と気功はどうちがうのでしょうか?以上よろしくお願いします。

 

A;仙道の参考書ではやはり高藤聡一郎さんはわかりやすく、ヒトを魅了するところがありますが、少し修練としてはオーバー目の表現もあります。100%その通りと思い込まないこと、ある程度客観的な視点を忘れない事が大切と思っています。学研のシリーズを読んでその気になってうまく行かなかったという人も何人も見ています。まあその人の素質や修練度合が関係してくる事だし、少し割り引いて解釈することも必要です。仙道関係の書では「仙道気の実践」の
 

にいろいろ掲載されていますよ。参考にされればいいと思います。
「仙道」を縹渺して教えておられるのは「仙道連」などそうですね。ここは20年代からずっと「仙道」一本で普及活動をされている任意団体です。全国的にグル� ��プがあります。ただ「内丹法」というわけでもなく、「外功」的なものが中心。「内丹法」的なものは山梨の本部でやっておられると思います。「小周天」ができるのにはどれくらいの時間が必要か?ということですが、これはヒトによって様々です。1年かかるヒトもいれば、3年かかるヒトもいます。現代人はかっての中国でのように専門に修行するような場所はないですからどうしても仕事・勉強の合間にという事になりますから、やはりある程度時間がっかってもやむを得ません。時間の事を気にせず、決まった時決まった方法で「継続する」かどうかにかかっています。そうすれば必ず達成できます。非常に簡単に言えば仙道と気功は、ともに「気」を煉っていくわけですが、その「気」を煉りに煉って、「内丹」作りを目指� �「還虚出神」に向かうのが「仙道(内丹法)」、その「気」を「労宮」などのツボから体外に発しヒーリングなどの方向に向かうのが多くの「気功」の姿ではないかと思います。もちろん現実には種々のパターンがあり一概にはその区別をどうのこうの言えません。またそれほど意味のあることとも思われません。

 

Q;僕はいま小周天に挑戦しているのですが、陽気がひとりでに動くほど強くならないので、先ずは意識で周そうとしています。それは今陽気がある所の少し先に意識をかけるというものですが、こうすると任脈督脈に熱感がつながってしまい丹田の陽気が動いたのではなくつぎつぎと陽気が発生しているだけのように思えるんです。これは偽の小周天でしょうか。突然質問してしまい申し訳ありませんが、アドバイスをよろしくお願いします。  

 

A;まず「陽気」を下丹田に発生させ、それを「督脈・任脈」に周流させていくのが「小周天」ですが、信さんの場合、すでに「陽気」が発生しているのですから、別に「ひとりでに」陽気が動き出すのを待たないでも、それに意識をかけて、下丹田ー仙骨ーアリのトワタリー督脈のルートで陽気を導いてやればいいのです。「陽気」の先に意識をかけるだけで、督脈ー任脈に熱感が伝わると言うのは、すでにルートが開発されつつあるという証拠だと思います。「偽」ということは決してありません。あとは、さらにその上に「熱感」の伝わっている、督脈、それから任脈のルートで「陽気」を意識で導いていく。最初は「熱感」が邪魔に感じるかもしれませんが、10回、20回とこれをやるうちにうまく平均し同調して自然な流れ� �なってくるでしょう。「陽気」が独りでに動くことを至上のことのようにいう流派も、主に気功系にあると思いますが、仙道内丹法では遠慮なく「意識」で導いていけばいいのです。「小周天」のポイントは、まず督脈・任脈を開発すること、そのルートを「陽気」「気」を周流させることに二つです。そのために「意識」を使っても少しも亜流ではなく、むしろ何度も繰り返して、ひとつの流れを作り出すことの方が重要だと思います。いまのまま、継続され何度も時間を決めて修練されることをお奨めします。頑張って下さい。

 

Q;私は、よく外気を吸収して下丹田に収め、小周天のルートを回すということをやるのですが、これはやはり偽小周天でしょうか?本当は下丹田で武息をやらなければ、小周天とは言わない(効果がない)のでしょうか?

 


スプレンダはdiahrreaを引き起こす可能性があります
A;お話の中にあるやり方は必ずしも「偽小周天」という様なことはないと思います。ただ「外気」を吸収して、下丹田に収めるのは、どうされているのでしょうか。これは、やはり小周天段階では「武息」によるものがいいと思います。鼻から長く息を吸い込んで、いったん下腹部にため、そこで息を止めます。それを今度は出来るだけ長く息を出していく。最初の「吸う息」、最後の「吐く息」、そして中間の「止める息」(蓄気といいます)、この三つの段階の時間をなれるに従って長く、呼吸は細くしていく。こういうやり方をされているとしたら、これは「武息」ですね。こういう「武息」で「外気」を取り込んで「内気」として活用していくのが「仙道内丹法」の基礎です。「外気」を取り込んで「内気」として活用する方� �は、「武息」以外にも「八段錦」や「太極拳」、それにもろもろの「気功」がありますが、「内丹法」ではまず「武息」によって「内気」の強化を図ります。そうして生じた「内気」を「奇経」のいわば「大動脈」である「督脈」「任脈」の二つの脈を通していくのが「小周天」です。
「仙道内丹法」で行う「小周天」の修練には二つの目的があると思います。そのひとつは「奇経」の「大動脈」である「督脈」「任脈」の二つの脈を開発していく事です。「奇経」というのは胎児の時期には開いていて、生命維持に重要な役割をもっているのですが、3-4歳頃になりヒトが物心ついてくると閉じてしまいます。それと入れ替わりに「正経」(ツボ、経絡)や「後天意識」(感情・知性)が発達しオトナになっていくのが現実の人間� ��姿です。「仙道内丹法」はこの通常は閉じられている「奇経」に着目し、「胎児」時代の機能を復活させる事で、人間の肉体と精神を「リセット」しょうとする修練です。そのために「奇経八脈」の再開発を目指しますが、最初に幹線脈である「督脈」「任脈」の二脈再開発を行うのが「小周天」修練です。
もうひとつの目的は、この幹線脈に「内気」を通していく事です。「内気」が全身に巡る為には「奇経八脈」を順に再開発していく必要がありますが、「大周天」はこの「奇経八脈」全部を開発していく修練です。
その意味で最初の「小周天」修練は非常に大切です。あせらず何度も毎日時間を決めて、たとえ10-15分ほどでも修練していけば徐々に開かれていきます。「武息」も「息」を特別強く吐くことが必要だな� ��とあまり難しく考え過ぎずに(これは身体を悪くする危険があります)、普通にやればいいのです。むしろ「吸う時」「吐く時」「貯める時」(蓄気)の三段階の時間を出来るだけ長く保てるようにする事のほうが重要です。

 

Q;小周天でつまずいてます。一応まわせるのですが、どうも気の集まるところがまちまちなんです。最初丹田で気を発生させて、小周天を普通にやり修功します。日常にもどると丹田に気がとどまらず、首の付け根や、会陰に陽気が集中してしまうのです。どうも小周天が成功してないのか、めぐってる経絡がいいかげんなのかもしれません。対処方法はあるのでしょうか。

 

A;それは多分小周天を回す、督脈、任脈が開いてはいるが、完全に回るように「習慣」づけられていないからです。督脈・任脈も他の身体のパーツと同様に、意識で導いて「習慣」づけることが必要です。ですからいま「気」の溜まっている場所から、何度も督脈・任脈に「気」を回してみるといいと思います。あまり完全に「気」がついてくるかどうか、気にしないで、とにかく10回ぐらい回してみると、溜まっている「気」は平均化されて、督脈・任脈に流れるようになると思います。それは行が上達してからも、しばしば起こる現象です。そして「気」が腰に溜まりすぎた場合などは、かえって腰が痛くなります。太極拳を20年もやっている人でも、よく腰痛に悩まされるのは、「気」を逃すルートが開通していないからで� �。 hirokun2さんの場合も、あまり細部にこだわらず、無理やりでも10回ほど督脈・任脈に回してみますと、通りがよくなると思います。督脈・任脈を開通させるということは、「意識」でその脈の上に痕跡を点けていくことです。まず「意識」を集中して、そのルートにあなたの意識の痕跡をつけてください。

 

Q;小周天を志し早や半年、禁欲、食養はほどほどにまじめには「行」を励んでいる訳ではありませんでしたがなんとか継続しています。まがりなりに一周??したようなのですが正しいのか自分でも疑問です。
 武息時、丹田よりも会陰部(括約筋)を締めると脊椎全体がキュイーンと収縮感がし後頭部までその感がします。小刻みに断続的に会陰を締めると背部、頭部全体がそれに合わせ筋緊張がします。小周天とは会陰(肛門周辺)緊張を全身に広げるということなのでしょうか?温養時、まったく力を入れない(会陰緊張をしない)文息をすると何も感じなくなります。緊張をともなう小周天を長年行うと徐々に緊張を伴わないように移行していくのでしょうか?想像(謎めいたエネルギーが発生し体を一周する等)して� �たのとはだいぶ違うのではたしてこれが小周天??という心境です。周辺に仙道を志す友が居ない為、ぜひぜひみなさまのご意見、お聞きしたいです。ちなみに始めたきっかけは虚弱体質の改善です。

A;「会陰」を緊張させると、脊椎に収縮感があるということですが、これはどうもいわゆる「小周天」とは違う方向の動作と思われます。おそらくこれは身体を緩めた場合に、脊椎など中心に身体が
揺れたり、細かく霊動したりする動きが現われますが「活元運動」とか「霊動」とかいわれるものの類ではないかと思われます。これは脊椎や骨格のユガミを元に戻そうとする動作ですが、通常は弛緩状態でおこります。
「小周天」は「内気」を「督脈」「任脈」に周流させる技法です。武息で下丹田に「内気」を発生させることが第一段階です。温かい「感じ」や熱い感じが現れてきたら、これを「会陰」から「仙骨」-「督脈」という風に導いて「天頂」に引っ張り上げます。ここで少し「温養」し、さらに「任脈」に下ろ� ��て「下丹田」に導きいれます。このルートを開発し「気」を周流させるのが「小周天」です。最初は「下丹田」に「温感」が生じるまで呼吸法を行います。そして生じたら、最初は若干イメージで補強しながら、その「温感」を督脈ー任脈に導いていきます。この二つの脈は成人したオトナでは閉じてしまっているので、それを再開発することが小周天のひとつの目的です。同時にここに「内気」を通して気」の基幹ルートに気を巡らせ、運行していくのです。まさに「気功」ですね。

 

Q;私は3年前から仙道をしているんですが、3年前の11月のはじめに小周天になったのですが、それ以来今日まで一日も欠かさず小周天もしくは全身周天をしています。これからも毎日欠かさずやっていこう、と思うのですが、自分の親が死んだり、結婚相手の親が死んだりしたときは3、4日できないと思うのですが、小周天を4日やらないでおいたらレベルがズトン、と落ちてしまう、ということはないでしょうか。

 

A;やはり4日何もしていないと、一時的には「感じ」が出て来るのが、どうしても遅くなってしまうでしょう。それはしかたないと思います。しかし「仙道」のいいところは、身体が覚えていて、もう一度「小周天」などを何度も繰り返していけばリカバリーできるということです。やり方によっては一日でも回復できるでしょう。私は昔、高藤式で「光の球」を作って、下丹田に「胎」を抱いていた時があります。その時富山県にいってラジウムなど放射性の強い(多分)温泉に入った時、温泉から帰ると「胎」は消えてしまいました。その後「小周天」をやり回復しましたが、こんどは検診でレントゲンを受けたあと、また消えてしまいました。そこで200回ぐらいも「小周天」やって液体状の「大薬」が発生してきた経験があ� �ます。結果としてはよかったと思います。高藤式でやっていたのは多分「幻胎」だったでしょうから。

 

「チャクラ法」

Q;メールマガで紹介されていた、「「あいうえお」はもともとインドのヨーガ修行者の「チャクラ」開発のための練習法で、それを空海などの遣唐使が中国から持ち帰ったものであろう」と言う仮説は独創的で面白いですね。確かに、「あ」の音は眉間のチャクラに、「い」の音は喉のチャクラに、といった具合にそれぞれ良く響きます。「あ」は会陰で、「い」は丹田と行った具合に、下から「あいうえお」の音を響かせて練習する人もいるようです。春さんの仮説が正しいとすると、日本人は小さい時から「あいうえお」と言っているので仙道やヨーガに向いているのかもしれませんね。

 

A;着想としては面白いのでは?と「自画自賛」ですが、思います。少しの間ですが、男声コーラスやってたことが、あるのですが、そのとき思ったことはコーラスとは「人間」の身体各部を楽器にして
響かせて、さまざまな音を出すということ。頭からお腹までそれぞれの音を発する「絃」であるということ。それと「チャクラ」の存在を考え合わせたとき、このアイデアが浮かんだのです。また「チャクラ」の名称が余りに煩雑で何か簡単にナゾレル方法はないか考えていて「あいうえお」を思いついたのですが、これがもし本当に古代サンスクリット語で古代バラモンの「チャクラ開発法」であったしたら驚きです。単なる「邪推」であればお笑いですが、、。
ここでまた「空海」に出くわしてしまいました。もし「空海」� ��この「あいうえお」を持ち帰ったのなら、その痕跡が「真言密教」の中にあるのでは?と思ったのですが、どうも「あいうえお」はないようです。
「阿字観」は有名でいいスマートな手法ですが、これは基本的には仙道で言う「月想観」ではなかろうかと思います。「あいうえお」は誰か別の遣唐使が持ち帰ったということもできると思います。
「あいうえお」ではなく「いろは」は確かに「空海」が創作して京都の寺子屋・綜芸種智院で教えた手習いの一種ではないかと思います。

 

「酒と性」

 

 Q;わたしは長年かかって、ようやく臍下丹田に熱い塊のようなものをはっきり感じることができるようになりました。下腹部がパンパンに張ってきて気力も充実して、何だかいい感じ。でも以前からわからないのが、飲酒と性生活との関連です。以下の意見は、女性はご覧になっていないことを前提にして述べます。

A;酒の誘いも多くなる季節です。わたしは以前から酒には弱かったのですが、気を練る修業を始めてからますます弱くなったようです。少量で気分が悪くなるし、体から気が出てしまうようで、体調もすっきりしなくなります。それでも出席しなければならない酒席もあり、困っています。それから性生活も同じです。精をある程度漏らさずに溜めることが必要だと思って、そう心がけているのです� ��、これが難しい。射精すると下腹部がぐったりして体調が悪くなり、最近では下痢するようになりました。それでも再び溜めていると、また気力が回復して充実してくるのです。それならずっと溜めていればいいじゃないか、と言われるかもしれませんが、そうはいかないのが男というもの。(笑)

 

Q;太極拳の古い教本にも、射精して2、3日は練功しないほうがいいとあります。わたしは配偶者がいないので、1日は置くように自分でルールを作っていますが、皆さんは酒・性のような家庭生活と気を練る修業をどうやって両立されているのでしょうか。

 

A;どなたか回答があるかとも思ってみていたのですが、やはり微妙な点があるのでしょうか?答えにくいのでしょうか?確かに、仙道など修行をしている者にとって、「飲酒と性生活」は果たしてどう扱えばいいのか、その扱いに困る問題ではありますね。「飲酒」をすれば修行にとっての基本ともいうべき「意識集中」がおろそかになりますし、アッシュさんが書かれているように、射精は男性にとって、大変魅惑的でもありますが、やはり一種の虚脱状態がその後に訪れてくる。これは誰しも逃れる事の出来ないものでしょう。ことに「小周天」の段階では内なる「精」(体外に出れば精液)と「気」を一体化することが必要ですから、「精」を体外に出さないほうがいいにきまっています。しかし、一方年齢にもよりますが、「 精」の放出は自然の摂理でもあります。この「定理」と「摂理」のハザマに、いかに決着点を見つけるかですが、私はそれこそ「自然」に任せてしまうより他ないのではないかと思います。日によっても違うでしょうし、天気によっても違うかも知れない。心が「欲望」に勝てれば、「修行」という意味では何も問題はないわけです。だから問題は「欲望」に負けてしまった時の、処理の仕方ではないかと思いますが、たとえ「欲望」に心が負けてしまったとしても、時間をかけて「リカバリー」する気持ちでやっていくより仕方がないと思います。くよくよ後悔することの方が何かよくないように思うのですがどうでしょうか?

 

「気の玉、光」

Q;藤平光一という合気道の達人の「気の確立」という本を読みました 合気道とは天地の気に合わすこと。人間は天地の気のひとつであり心身統一して天地とひとつになる。 心身統一=心を臍下丹田に落ち着けること リラックスして気を出せば人間は押しても突いてもびくともしない 男数人でも持ち上げることもできなくなると書いてありました あと新宿の人ごみで気を出して歩けば人が自然によけて歩き、気を前に向けていたら後ろのことも手をとるようにわかると書いてありました 皆さんはとうにリラックスを会得してそうな気がするんですが どうですか? 皆さんの話聞いてみたいです

A;とうひら先生は、その「気の玉の上げ下げ」で有名ですね。僕も今から9年前の冬、二人の男の人に手伝ってもらい、試したことがあります。「気」の玉を足元に下げれば、屈強の男二人が持ち上げようとしてもあがりませんでした。そいて「気の玉」を頭に上げると、すっと持ち上がりました。その後あまりやっていません。現在はどうか自分でもわかりませんが、そのときは確かにあがらなかったのです。男の一人はボクサー志望の筋力の強い若者でしたが、彼はその後どうしたのでしょうか?

 

Q;以前、カルチャーセンターで3ヶ月(1クール)、気功を習ったことがあります。そのコースも最後の方になった頃、生徒を皆イスに座らせて、先生が瞑想を誘導してくださいました。吸う息と共に足の下からエネルギー(違う表現だったかもしれません)が昇ってきて、お腹(丹田)にそのエネルギーが溜まり、吐く息と共にまたそのエネルギーが足を伝って地面に帰っていく・・・そんな瞑想だったと思います。
その時、確か、エネルギーの流れをわかりやすくするためか、赤い色をイメージしたような気がします。瞑想の時間は短かったと思いますが、自分の身体の周囲に赤いオーラ(?)のようなものが510センチくらいの幅で覆っているのを感じました。(眼は瞑っていてもなぜか赤、赤系・・だとわかりました� �・)不思議な感じでしたが、気のせいとかではなく、かなりはっきりと感じ、あれは何だったんだろう・・・とずっと疑問に思っていました。教室が終わり、靴箱で靴を履き替えている時、先生がちょうど私の後ろから来ました。その時に聞いてみればよかったのですが・・・
その後、家に帰って同じようにやってみたのですが、2度とあんな感じにはなりませんでした。
誘導瞑想の方が入りやすいのかな・・・と思ったりもしましたが・・こんな瞑想方法はあるのでしょうか?私の体験したのは何なのでしょうか??

 

A;そのスクールで感じられた「赤い光」、それがその後は感じられないと言う事ですね。正確にコメントできるとは思いませんが、ひとつはその会場が「気」を志向する多くの人が集まる場であったということが、あると思います。それと先生の力、誘導の仕方、そういうものが合致していたのかもし
れません。その先生がパワーを各人に注入されていたり、、。実際、多くの人が一緒に修練したほうが、「気」の場(場の気)が高まることはよくあることです。
逆に仙道系オフ会などでは色々な人が集まる為か、ヘンな「気」を拾ってしまう事もありえます。それと、瞑想における「光」ですが、私が感じるところでは(ということは別に定理ではないのですが)、「光」が見える状態と言うのは瞑想が深まっている 時ではあるのですが、意識や身体が完全に緩んでいることが必要ではないかと思います。「光」を目指して集中などすると、却って意識の中に「光」が残ってそのようにはならないように思います。色々なケースがありますから、あまり断定できませんが、、。それと仙道では「光」は小周天の段階である時突然現れる。これは「陽光一現」(最初の光出現)、「陽光二現」(二度目の光出現)といわれますが、小周天で次へ行く準備が出来たというシグナルです。神秘行でこのように「光」と「熱」が現れることがありますが、やはりシグナル的な意味合いが多いのではないでしょうか?「光」と「熱」を神秘行の極致のように思い入れ、それが現れると自分は特別な人間と思い込む人が結構いますがこれは「通過点」だというとらえ方� ��正しいと思っています。むしろタネも仕掛けもなく、体内あるいは脳内で「光」や「熱」を生み出す仕組みになっている「人間」の神秘さ、自然・宇宙の神秘さに驚嘆すべきでしょう。「光」は若干バーチャルな要素がありますが、「熱」は明らかな現実ですから、、。

 

Q;西野流は東京へ行くまでの交通費がかかるからやめた、と思いましたが、ある考えがありまた行き始めています。今日行ってみて、足芯呼吸という小周天のようなことをする時、丹田に意識するとすぐ熱の塊(陽気)ができ、以前に比べ大分進歩して陽気も強くなっている、と思いました。自分として光りの点の他陽気の強さを感じてもこれからも仙道やっていこうという励みになります。

 

A;「西野」行きを再開されましたか?ご同慶の至りです。大変な時間と交通費がかかるようですが、それだけ熱心に修練を積まれれば、それだけ形となって現れてくるように思います。やはり「内丹法」や「静坐」だけでは片手落ちという感じが免れませんので、何か「動功」を決めて定期的にやることは誰にとっても大変いいことですからね。

 

「丹田化」


karyotopeは何ですか?

Q;高藤先生の「仙人入門」のP199~P203を読んだのですが、図と記述が少しつじつま合わないところがあり、丹田に意識をかける時の場所で少々迷っております。
基本としては、普通の人が意識をかける場所は、下丹田=関元(臍下三寸)、ということでいいのでしょうか。しばらく気海のほうに意識かけていて、最近になって勘違い(?)に気がつきました。
それでも少々不安なのですみませんが教えてください

A;下丹田への「意守」の件ですが、おっしゃるとおり、この時期のおいては下丹田へ直接、意識をかける姿勢でいいと思います。臍から10センチほど下、そこから奥にやはり10センチほど入ったところに下丹田の中心があって、大きさはほぼ自分のこぶし大と考えていいでしょう。神経がいろいろ錯綜して集まって手まり状態になっている「糸状体」というのがあり
、これを中心として「太陽叢」(たいようそう)といわれる部分。これが「下丹田」ですね。ここへの「意守」によって、「下丹田」の活性化を目指すのが「小周天」のまず第一歩。「武息」もこの周辺の強化のために、下丹田を中心として行われます。「小周天」がなぜ大切かというと、下丹田の活性化・強化によって「気田」を厚くし、外気を集めて「� �気」を増大させ、それを督脈・任脈に「運用」して、まず修練者の肉体を強健にする必要があるからです。
こんごの長い修練を通じて耐えうるような強健な肉体を作ること。「気」の運用と「精」の活用によって、これまでについた身体の「しみ」や「ごみ」あるいは「バグ」を取り除いて、今後の修練に相応しい身体を作り上げることです。やがてもう一度、高藤流でいう「大周天」の段階で「大薬」が発生して、それを時間をかけて「下丹田」-「中丹田」-「上丹田」と移していくときにも「下丹田」は重要な役割をします。その部位の内臓?がほんとうに「丹田化」するのを実感する事ができます

 

 

 

「奇経八脈」


Q;仙道をやるためには奇経八脈の勉強が必要だと春桃原さんはおっしゃていましたが、どんな風に勉強したらよいんでしょうか?鍼灸等の経絡本を買ってきて読んでそれと見合わせながら仙道の本や気功の本を読んでいけば良いのでしょうか?あと仙道をするにあたって大切な知識があれば教えてください

A;「仙道」は中国の古代からのさまざまな叡智を盛り込んだエッセンスおようなものだと考えています。現在の「漢方薬」についても非常に実証的で統計的な古代からの裏づけがあるように、「仙道」にも多くの中国の叡智が取り込まれています。「奇経八脈」を「仙道」が重視しているのも、そういう背景からきています。私は別に「経絡」の専門家ではありませんので、間違っている点もあるかもしれませんが、あくまで私の考えている点について述べてみたいと思います。中国の叡智のひとつ「経絡」は、西洋医学とは全く違った体系で人間の生命と身体を解き明かしたものですが、これにはもともと「正経」と「奇経」という考え方があります。正経とよばれる112種類と奇経とよばれる8種類「経絡」があ� ��、一般的に中国医学では奇経は正経のバイパスと考えられているのが普通ですが、中で2つの奇経(任脈、督脈)と正経とを合わせた14経絡が重要視されています。
これは中国医学での「対処療法」のためのツボはおもに「正経」と関係があり、そのため伝統的に「正経」重視の姿勢できたと思われます。この中国医学の中で「奇経」を重視したのは明の名医・李時珍です。「奇経八脈考」という名著があり、ぜひこれを読まれることをお勧めします。

高い本なので図書館などで読まれればどうでしょうか。都立中央図書館には中医学の療法家の方の「奇経八脈考」日本語訳があります。
さて「仙道」における「奇経八脈」ですが、これは「仙道」(伍柳派内丹法)の中心的行法である「小� ��天法」「大周天法」の根幹を成すものです。奇経八脈のうちの「督脈」「任脈」の二大幹線脈を使い「内気」を三百回以上も周流させ、体内の「精」と練り合わせて「き」という新物質を体内に生成せしめるのが「小周天法」。さらにこの「き」を「神(意識)」を使ってさらに練り上げ、出来た物質を「督脈」「任脈」の二脈を含み他の六脈を周流させるのが「大周天法」です。この二つの「行法」は「仙道」の序盤・中盤の根幹を成すわけですが、そこで使われるのが「奇経八脈」です。この「奇経八脈」は仙道では、人が生まれる前の「胎児」の時代には開いていて胎児時代の生命活動を支えていた「脈」だと考えています。それが、人が生れ落ち六歳ぐらいになり後天的な「知恵」がついてくると、「正経」の働きが活発になり� �それとともに「奇経八脈」は閉じてしまいます。「仙道」では、まずこの「奇経八脈」を再開することで「先天的な脈」を復活させます。それを第一段階として、これが仕上がると次に「神」(意識)の修練に入ります。これも「後天的」についた「神」(意識)を人の心身から取り去って「先天的」な「神」(意識)を獲得するための修練です。そういう意味で「奇経八脈」は大変重要なのですが、中医学における「経絡」は大変複雑で、鍼灸やマッサージのような治療家・専門家は別ですが、これを本格的に研究しょうとすれば、一生かかるようなテーマだとおもいます。ですから「仙道」を本流に考える人は一応の知識として知っている程度でいいのではないかと思います

 

 

「高藤先生」

 

Q;本来の伝統的仙道の内丹法ですが、基本と言われる小周天の達成まで、一日に3~4時間座って5年。築基の段階を含めると、最低6年は掛かる模様です。だから、高藤先生から直接習った人の中にも、本当の小周天の出来た人は数えるくらいしかいなかったそうです。伝統的な内丹のやり方については、島田明徳氏の「気の意味」と云う本にその詳しい描写が載っていますので、宜しかったら参考にして見て下さい。それと、本当の小周天を達成すると、どんな状態になるか?と云うことについての具体的な情報もありますが、著作権の関係で掲示板等には書き込めませんので、もし、御覧になりたければ、メールでお送りします

 

A;幻の高藤先生の実際の姿が、少しずつ明らかになって行くような気がします。「仙道」の行というのは本当はそれほど簡単ではないということですね。1日に3-4時間も密度の高い修練をすることなど、今日ではなかなか難しいですね。しかもその修練の末に、必ずめざす状態を達成できるとは限らない。「道観」にでも入り仙道三昧の生活でも出来ればいいのですが、現実の生活は家族があったり、会社があったり、付き合いがあったり、仕事があったりでなかなか密度の濃い修練が出来ないですからね。ま、時間はどれだけかかるかも判らないが、やるだけやってみようというのが私のいまの「仙道」に対するスタンスですが、、。

 

Q;先生は確かに、人並み外れた生命力をお持ちの方でしたね。仙道の実技そのものは、月に二回程度開いていた内功教室や、不定期で開かれるセミナーで教えておられました。セミナーは、初級、中級、上級、最上級とありましたが、上級以上のクラスともなると、個人別に詳細なマニュアルが必要になってくるらしく、その人の体質や状態を見て、食養や漢方の処方など、きめの細かい指導をしておられた様です。内功教室では簡単なテキストを配布されましたが、初歩的な食養と様々な呼吸法の説明が書いてありました。武息にも様々なバリエーションが存在し、その中にはヨーガの「火の呼吸」と同じ様な物も有りましたし、やはりヨーガのクンバカやムドラーの様な、止息を使った大周天用(恐らくは急激型)の呼吸法も有� ��ました。これは先生が常々、私達に仰っておられたことですが、『俺に教えて欲しかったら、俺を乗せろ!』と・・・・つまり、その気にさせてくれ!お前達の本気を見せてくれ!と云うことだと思います。『お前達が中途半端なのは、心が貧しいから!自分のエネルギーを使うことをケチるから!』と言われた事も有りましたね。先生は気分が乗れば、雑談中にでも色々なことを教えて下さいました。例えば、武息も本当に上手に出来ると、気持ちが良くなって来るので、何時間でも楽に続けることが出来るそうで、実際に目の前でやって見せて下さったり、先生が実践しておられる簡単な肩こりの治療法を教えて頂いたり・・・・。残念ながら、私はセミナーは初級しか受けておりませんので、仙道の実技を体系的に伝授されたこと� �無かったのですが、日常的に先生に接することが出来たお陰で、教室では知ることが出来ない様々なことを学べた様な気がします。結局、高藤仙道と云うのは、高藤聡一郎という一人の「人間」の生き様その物であって、それを私達に教えたかったのではないかと云う気がします。これは飽くまでも私流の解釈ですが、本当に仙人になりたかったら、まず、「人間」として生きろ!と云うことでしょうか・・・・

 

Q;高藤氏の本については以前から色々言われていましたが、やはり真実のみを書いていたというわけではないようですね。まあ、仮にすべてが真実であったとしても、個人差も大きいので結局全部鵜呑みにすることはできないと思いますが……。『自然に回るまで、待ってなきゃ~いけないんだよ』ですか。そう言えば本にも「自分の判断で回し始めろ」とは書いてなかったですね。全身周天の圧縮法でつくる陽気玉くらいのレベルでしょうか? もしそうならそこまではなかなか待てないでしょうね。かく言う私も独習で、今は大陸書房の本を参考に全身周天の体外放射の練習をしています。まだ全身までは及んでませんが、さしあたってこれが完成するまではこの本に沿っていこうと思ってます。ところで、全身放射できるとと� ��も気持ち良くなるとありますが、これが出来た方がいらっしゃれば体験談を聞きたいです。

 

A;僕は昔、「仙人の庵」(taolin)や「天経地義」( nature boy)の掲示板でよくお世話になりました。双方の掲示板(「仙人の庵」は廃止)とも変わってしまいましたが、昔は「熱かった」ように思います。
ところで「全身周天」ですが、これは簡単にいえば修練で気が身体に充満するようになって、外周にまで放出されるようになることだと思います。時によっては恍惚感がありますね。「坐忘」ではさらに範囲を広げて「宇宙」のはてまで観想しますが、やはり「全身周天」的な行の延長であると思います。これからもよろしく。

 

「小野田先生」

 

Q;小野田先生の現代仙道百科を購入し実践しようとしているのですが第一段階の斎戒養生門って何を目安に次の段階に進めばよいのでしょうか?また次の安制処感門に関しても何を目安に次に進めばよいかわかりません。あまり考えすぎて神経質に取り組むのは問題でしょうが、だからといってまだ未熟なくせに次に進むとか、そういうことをするわけにもいかないので困っています。あとこの現代仙道百科以外でお勧めの仙道関連の著書等もあったら教えていただきたいです。

 

A;この間から別のスレッドで話題の小野田大蔵さんの「仙道百科」に従って修行されているとか。どこかで書きましたように、小野田さんは若い頃「仙道連」の故五千言坊道士のところで、仙道を学ばれそこから離れて主に著作で仙道を啓蒙されてきた方。したがって「仙道百科」には第一階斎戒養生門、第二階安処制感門、第三階存想統覚門、第四階坐忘還元門、第五階神解自在門という階梯があると思いますが、これはもともと「仙道連」がいまも奉じておられる修行法です。「仙道連」のもとは60年以上前の中国・上海「白雲観」(現在も中国道教の大本山)ですから、この修行法は伝統・中国道教の奥深くで行われていた修行法といえます。さて、個々については、その道の方、あるいは仙道連の方に学ばれるといいと思い� �すが、私の感じるところ、もともとこの行法全般は最後のところでは、一部の有能力者に口伝でしか伝えない「言外の秘」という伝統にのっとって伝えられてきたので、全般的には自習仙道には必ずしも向いている体系ではないと思います。ただ第一階斎戒養生門、第二階安処制感門、第三階存想統覚門の前半(以上を不老門と称します)は、主にこれから本格的仙道に入るための身体と精神の基礎を作る段階ですから他の方たちと一緒に学びながら身につける事はできます。第一階斎戒養生門では服気36法12訣(呼吸法)、導引法100以上、素食法(食事法)などの体行です。第二階安処制感門はイメージや気感を駆使して平常心を養成するための精神鍛錬法です。数息観、なんそ観、日想観、天想観、神遊観などを修練します。 第三階存想統覚門の前半は精神統一法でいつでも瞬時に全精神を統一できるように、心の眼、心の耳によって意識の統覚を図ります。

 

 

「ナーダ音」

 

Q;最近,聴覚や視覚について話題になっています。音についていえば,私自身は春さんに一番近いようで,ほぼ同じ質の音(ナーダ音)がきこえます。そこで今回,その種の音が,仙道書でどのように扱われているか調べてみようと思い,例によって『仙学研究舎』に飛び,御労訳をいくつか読ませていただきました。こちらの御労訳には,本当にいつも頭が下がります。もちろん断定はできませんが,今のところ、これらの仙道書でナーダ音に言及しているものは,見つけることができません。もしどなたか御存知でしたらぜひ教えてください。でも,ほとんどの人に聴こえるものが,言及されていないというのは,考えてみると不思議なことです。ただ調べていて,どうも「音」の概念が,われわれと違う気がします。仙道書で� ��「これは何々の音である」とはっきり認識できるもの,あるいは認識すべきものを「音」と呼んでいて,何だか得体の知れないノイズが聞こえるが,そのクォリティーは・・・といった言及はみられません。
もちろん音のクォリティーについて述べられた部分もありますが,たとえば,突然大きな音がするとか,耳で風の音を聞いて頭の後ろで鈴の音がするとか,丹田で嵐や雷がとどろくような音がするなど,すべてみな,歴然とした何かの音ばかりで,ノイズではありません。そして必ず,それらの音は修練の過程で発生するものなので,興味を持つべきでないと付記してあります。
 基本態度として,音はいわゆる魔境の延長であって,とらわれてはならないもののようです。だから,たとえば,耳で聞こうとしてはならない� �れど,聞こえてくる音をわざと聞かないようにする必要はないとか,もし無意識に何かが聞こえても、それが何を意味するかを分析してはならないとか,要するに,音にとらわれないための対処法に重点が置かれていて,クォリティーは論じられません。
 もっとも,それが魔境であれば,確かにその態度で正しいとも思います。修行中は,耳を内側へ向け,外界の物音を聞かないようにすべきであり,たとえ聞こえても淡々とうけとめ,それにとらわれないようにするのが基本のようです。
 このような基本姿勢があるため,ナーダ音のような,微妙なノイズについては論じられていないのかも知れませんね。あるいは,かつて童子さんが596番のレスで,一部中国人の解剖学的構造の話を少しされていましたが,そういった体質の 違いがあるのかもしれません。いずれにせよ,もし仮に仙道書でナーダ音について言及されていたとしても,どうやら音の問題ではなさそうです。

 

A;どの「仙道書」かは現在資料がない場所にいるので、はっきりしませんが、たしか依然読んだ「仙道書」に「耳のそばでぶんぶん蜂が飛んでいる音がする」とか、いわゆる高藤流の「大周天」でさまざまの「轟音がする」という記述があったように思います。もうずいぶん昔のことで記憶は定かでありませんが、「仙道」にも「音」は全くないのではなく、少しは出てきていたと思います。

「夢見」

 

Q;よく「夢見」の方法などの本がありますが、気功や仙道ではどう取り扱っているのでしょうか。あまり「夢見術」といった言葉は出てこないのですが、、、、。

 


A;確かに高藤さんの本にも「夢見術」をテーマにしたものがあったと思います。「夢見」というのはおそらく米国流の神秘学?超心理系でいわれる「明晰夢」に関連しているのかと思われますが、あまりこの分野は詳しくありませんので、私の全くの私見で申し上げますが、あるいは間違っているかもしれません。詳しくはそちらのhpなどで調べてください。「明晰夢」と「体外離脱」とは隣り合った分野のような気がします。いずれにしろ「夢」に深くかかわる分野で、さまざまな体験例が報告されたり、実体験を深めておられる方々もこの世界には多いと思います。そのメカニズムについてはまだまだ未知の部分が多くこれからこういう方向での研究も進んでいくと思われます。一方、こと「仙道」に関していえば、「仙道」の 目指す所はむしろ「夢」の部分を心身から取り去ることが修行の根幹をなしていると私は考えます。「仙道」では「後天」と「先天」という考え方が基本にあります。「後天」というのは人が生れ落ちて、さまざまな環境、人間関係、事件などのなかからその個人の心身の奥深く生成される、意識(神)、精(生命の仕組み)、気などをさしています。神・精・気は深く関連しあって、その個人の「現在」を形作っています。人は表向き大変似ているように見えても、内面はそれぞれ全く違うのはそのためです。人はおのずから、そういった後天的に身心についた種々の「バグ」を内に抱えたまま、愛し合ったり、闘ったり、憎みあったり、慈しみあったり、「喜怒哀楽」の感情にゆすぶられながら生き、ついに「真実の自分の姿」は何で� ��ったか、それを知ることもないまま、多くの人は一生を終わります。「夢」はそういった「後天的に」心身についたものが、「意識」の中にあって、眠ることで「意識のフタ」が取れたことで「後天的な感情」が「形」を変えて出てきたものとみなされます。「仙道」ではこういった「後天」の意識(神)、精(生命の仕組み)、気を長く修練することによって「消し去って」滅却し、すべて「先天」の意識(神)、精(生命の仕組み)、気にすることを目指しています。「先天」の意識(神)、精(生命の仕組み)、気というのは、人が生れ落ちる前、「胎児」であった時代に人が獲得していた精・気・神に戻ること。どのような環境や、状況にあっても、ぶれたり、変化したり左右されたりしない、「生命」を再び獲得することを意� �します。そのためには「後天」の精・気・神を自身の心身から取り去らなければならず、「夢」もそのひとつだと思います。「仙人夢を見ず」という言葉の裏にはそういうことがあると思います。「仙道」ではしたがって「夢」に対しては心身から取り去るべき対象であって、それを行うのが「仙道」修練そのものという気がします。

 

 

Q;クンダリニーの覚醒タントラヨガの本を読んだんですが一緒に出せる回数が6500回と書いていました。ほんとに出せる回数というのは決まってるんですかね・・・ 一升瓶位が一生に出せる量とか巷の噂をきいたりもします 怖くて夜も寝れません 笑 18という年のためか馬陰蔵相にもの凄い恐怖感があるんですが  最近寝る前に鏡に向かっての暗示と言うのをしています。自己変革法みたいな そのときに世界平和の祈りを一度するようになりました世紀末から今世紀頭2006年にかけて大動乱が起きるかもみたいなことが本に書かれていまして そういう予言めいたことは信じてなかったんですが・・・・ でも崩壊があって、理想のような新しい平和な世がくる 自然をなめたしっぺがえしあってもおかしくな� ��ですよね なかったらなかったでそれも平和だけど寝る前にほんのわずかな時間祈りに当てるくらい別にいいかなっておもって氣、思い、念じること。物を小さくしていったら最後に残るのはそういうものなのかなってこのごろ思います

A;以前、どこかのhpで質問があったことですが、例の「馬蔵陰相」について、、。まあ、多くの人は「馬蔵陰相」について異常に興味を持っていますよね。知らない人の為改めて書きますと「馬蔵陰相」というのは、仙道の行が進んで、小周天、大周天とくると、男性器が馬のあそこのように腹部にめり込んで小さくなって使えなくなるというのです。ある有名な仙道解説本に「馬蔵陰相が大周天(つまり真気発動)の証験のひとつ」と書かれてあるものだから、異常な関心を呼んでいました。しかし果たしてどうなのでしょうか?確かに中国でも昔、性衝動を抑えるために男性器をちょんぎった仙道修行の若者がいたということですが、それは全くの「本末転倒」ではないかと思います。「内気」を喚起するため「小周天」の段� �では性衝動を抑えることは必要ですが、「自然」に任せればいいので、羅刹のような男性器切断をやっても何の効果もないと思いますよ。むしろそういう、目的のため手段を選ばない姿勢は仙道とは無縁のもの。「馬蔵陰相」についても、そんなのどちらでもいいのでは?と思ってしまいます。そうなったらなったでいいだろうし、ならなくたって、その人の体質によるかもしれないし、仙道修行の枝葉末節に「ひとこと」載っているような事を「それが大周天の徴」というのは少し大袈裟のような感じがします。それより本筋を踏み違えないこと。

 

 

「大周天」

 

Q;高藤式で仙道をはじめてもう4-5年になりますが、あまり熱心にやっているわけではありません。そのせいか「気」の力は少し粘ってきたかなという感じですが、まだ高藤本にある「大周天」が出るというところには至っていません。督脈を気の太く強い流れが走って、頭のてっぺんを貫くというヤツです。これはどう解釈したらいいのでしょうか?誰かお教え下さい。

 

A;まず、これは何度も申し上げていることですが、あの「督脈を気の太く強い流れが走って、頭のてっぺんを貫く」という現象そのものだけを「大周天」という「呼び方」には異論があるということです。「仙道内丹法」(伍柳派)では第二段階「煉精化き」を俗称「小周天」と呼び、第三段階「煉き化神」を「大周天」と呼びますが、これはこの時期の修練がそれぞれ「小周天」(督脈・任脈の周流)、「大周天」(奇経八脈の周流)の行法を中心としたものであることから、そう呼んでいるのです。ですから「大周天」というのは第三段階の中心行法の名前で、厳密に言えばそういう「現象」を指すものではないということです。高藤さんはきっと台湾仙道か何かのタネ本にそういう表現があったのを使われた� ��ではないかと思われますが、「督脈を気の太く強い流れが走って、頭のてっぺんを貫く」という大変印象的な現象は実は「伍柳派」仙道や「白雲観」仙道(伝統的仙道)のテキストにも、そういった「現象」についての記述はありません。これは「大周天」の初期に、人によっては起こり得る「真気発動」という現象を指したものではないかと思われます。むしろ「ヨーガ」でいう「クンダリー二」に似た現象です。この時期、体内に「内気」が満ちてきますが、それが何かのきっかけで充満したガスに「火」がつくように燃え上がる現象です。それが詰まっていた「督脈」を通じて体外に出れば、上記のような現象になりますし、体内に出れば「非常な高熱」となって行者に襲い掛かります。これは「仙道内丹法」必須の現象というよ� �は、その人の体質や気の質によって起こってくるものと思われ、起こったからといって誇るべきものでもなく、なかったからといってダメというものではないと私は思います。「仙道」でも「ヨーガ」でも、いわば「正史」には出てこない現象、つまり「日本書紀」には記述はなく「古事記」にあるような、表現豊かな現象であると思います。それよりも重要なのは「大薬」です。これが「発生」しなければ、その後の下・中・上の「丹田」化もありませんし、「丹」も形成されませんので、こちらのほうがずっと重要な現象と言っていいでしょう。

 

 

Q;私も大周天に関しては、自説を持っていますので、貴方の以下の記載に対して、少し述べてみたいと思います。 大周天に関しては、道家龍門派(いわゆる伍柳派)の第19代伝人であられる、屠文毅老師という人が次のように言っています。『「小周天」は人の小宇宙が通じるようになったことを指します。天(上丹田)、人(中丹田)、地(下丹田)という通路を開くのです。「大周天」は人と大宇宙が通じるようになったことを指します。すなわち、天・人・地球という通路を開くのです。』そして、大周天の行法に関しては、小野田大蔵著の『現代仙道百科』P.346~P.347に次のように述べられています。『玄関は玄妙不可思議な存在で、練精の工夫も深まり、内も外もなく一切が混沌として静まったとき、突然闇の中にパッと電燈がついたように玄関が現れる。それは何とも形容のできないような景況で、たぶん黄庭かあるいは中黄と思われるあ たりに円光が発現する。光というよりも明るい真空のような状態で、その中に一切のものを見たような気もするが、何もないようであり、ただ恍惚というより言いようがない。玄関が開くと体内にエネルギーが充満するので、強く息を吐きながら意識で陽火を陰キョウから大地に降下させる。さらに2~3回呼吸(呼長吸短)し、吐息のたびに地下の奥深くへと降下させて地球の中心部にまで落とす。地球の中心へ達したら、今度は呼短吸長の呼吸で息を吸うとき陽火とともに地球のエネルギーを汲み上げ、尾閭から体内に入れる。続いて息を吸いながら陽火を督脈を通して上昇させて泥丸に入れ、意識を集中して吐息とともに天空に上昇させる。それが頭頂からまっすぐ上昇して宇宙エネルギーと結合するのを実感したら、今度はそれが� ��輪の金陽となって頭上に降下し、金色の液体となって頭の内部に浸透し、さらに両肩から両腕へ首から胴体へと新しい細胞を形成しながら体内を流れ下り腰脚部に達するのをイメージする。そして再び陰キョウから大地に降ろし地球の中心から上昇させて体内に入れ、体内を上昇させてから泥丸から虚空に放つ……という過程を何度も繰り返す。この上昇、下降を繰り返しているうちに身体内全体が光の柱となり、宇宙根源の生命エネルギーがその光の柱の中を上下に流動して強力な光体をつくり上げていくのが実感される。これが金液還丹の状況で、陽火は個体と宇宙の間を周流しながら宇宙の真陽を吸収する。これを大周天法という。金液還丹の段階に達すると、身体から強い放射能が放射され、これが光に見えることもあり、猛獣� �恐れて近寄らないようになる。』
 したがって、貴方のおっしゃる『「大周天」は奇経八脈を開通させる行法。督脈ー任脈ー足の内側ー外側ー督脈ー手の内側ー外側ー焦脈ー帯脈ー仙骨というルートを開通させる行法をいいます。』というのは、未だ小宇宙である人体内での気の循環に過ぎず、広義での小周天に当たると思います。かといって、小周天と言ってしまえば、いわゆる督脈と任脈に気を循環させる狭義での小周天のごっちゃになってしまうので、高藤氏の『全身周天』というオリジナルの命名は誠に的を得たセンスの良い命名だと思うのですが、いかがでしょうか?ちなみに、私は高藤氏の元弟子でもなんでもありません。

 

A;。「用語」について僕の意見をいいます。いっておられる「全身周天」「大周天」については僕も昔、高藤聡一郎さんの本で知りました。その状況については別に異論はありません。ただ後年いろいろ仙道について知るに従ってこの二つの使い方は高藤さんのオリジナルな使い方であるということを知りました。まず「全身周天」という範疇は、中国伝来の仙道にはどないように思います。また「大周天」というのは行法の名前で、「小周天」に対応したものです。「小周天」はご承知の通り、督脈、任脈を開通させる行法。「錬精化炁」の中心行法です。それに対応して「大周天」は奇経八脈を開通させる行法。督脈ー任脈ー足の内側ー外側ー督脈ー手の内側ー外側ー焦脈ー帯脈ー仙骨というルートを開通させる行法をいいま� ��。「錬炁化神」の中心行法です。ですから高藤さんの使い方は高藤さん独自のもので、もしそういう使い方があるとしたら「台湾仙道」の中にあるのかも知れません。その他「大薬」を光の玉とするのも高藤さんのオリジナルであるように思いますし、多くの男性行者を震え上がらせる「馬陰蔵相」の特別視も何か変ですね。これが僕の高藤本に対する感想です。ご参考までに。

ログを拝見する限り、小野田大蔵さんの本に載っている「金液還丹法」について感想を述べることにします。「金液還丹」というのは「玉液還丹法」と対になった言葉で、「玉液還丹」は「小周天」、つまり「煉精化炁」の段階で起こり、「金液還丹」は「大周天」、つまり「煉炁化神」の段階でおこると理解しています。「玉液還丹法」「金液還丹法」は「仙道連」、すなわち大陸道観「白雲観」で行じられている、「太乙金丹道」の行法です。小野田さんは最初「仙道連」で仙道を習われたので、そういう表現を継承されているのだと思います。この流派では「煉精化炁」「煉炁化神」という分け方ではなく第二階は「安処制感門」、第三階は「存想統覚門」と呼びます。ここの流派は同じ仙道でも道観で教えるような、「伝統� ��道」で古い時代の仙道の形を残しているのではないかと思われます。私は主として「伍柳派」の仙道を行じているので、「玉液還丹」「金液還丹」については知識しかありませんが、どうも「玉液」というのは我々でいう「小薬」、「金液」というのは我々でいう「大薬」の状況ではないかと思います。これは「仙道連」の先行の人がおいでになれば聞けると思うのですが、私は仙道連は初歩しか知りませんので何とも申し上げられません。ここでは「小薬」、「大薬」という観念はなく、「大薬」は「黍粒」の如き物といわれています。「伍柳」では「炁」を煮詰めたような気体っぽい「液体」で一週間の間、体内に次々に発生します。ですから小野田さんの言っておられる「行」と私の言っている「行」とは全く別のものです。ちな� �に小野田さんの習われた仙道連でも「大周天」の意味は私の申し上げた「奇経八脈」周流法を意味して全く同じです。なお仙道連の「金液還丹」は小野田さんの書いておられるのとはちょっと違う状況ですが、その説明はまた別の機会にします。小野田大蔵さんの本に載っている「金液還丹」ですが、「金液還丹法」というのは仙道連でやる「イメージ」の行です。「まずイメージで金色の美しいサジを作り、それで自分の丹田にある真火をすくい、口に運んで清く甘い神水として、これを飲み込みます。この時イメージで真火が快く脊柱に沿って両肩の間を下に運ばれていくのを心眼ではっきりと描く」という行が「金液還丹法」です。小野田大蔵さんの書いておられるのは「金液還丹法」を何度も行じる事によって出現する状態を書い ておられると思います。「行の名前」と「行の結果生じる状態」がごっちゃになっているのです。同様に高藤聡一郎さんの書いておられる「大周天」というのは、「大周天行の結果生じる状態」のことなのです。しかも「金液還丹」もそうですが、必ずしも人によっては同様の状態が起こるとはかぎりません。その特殊状態を「行の名」、これは誰でも行じられる普遍的な名前ですが、それとごっちゃになっているので一般の人が混乱してしまうのです。「大周天」をものすごく特殊な現象として崇めて目標にしておられる方がいますが、「奇経八脈」に気を周流させる「大周天」そのものはいつでも誰でもできる行法の名前にしかすぎません。そのことを私は言いたかっただけなのです。

 

「胎息」

 

Q;あるヨギの自叙伝最後まで読み終わりました。大きくて分厚い本だったのですが、何とか読みました。以前読んだ本には不老長寿には小食が必要であり、不老不死になるには常に何も食べない不食でないと不老不死にはなれない、と書いてありました。あるヨギの自叙伝には50年回断食をしている女ヨギについて書いてありました。本当に50年間何も食べていないそうです。それと本には不死になるには無呼吸になることが必要と書いてありました。長生きは長息であり呼吸が長い人が長生きになれるのであり、不死には長生きでなく無呼吸にならなければならない、とのことでした。仙道の真息、胎息は無呼吸に近いのではと思います。

 

A; 「胎息」は仙道内丹法を続けていれば自然に身についてきます。いわゆる「練キ化神」の時期に「十月養胎」というのがあります。これは「大薬」が発生した後、約10ヶ月間、それを下丹田に抱えて胎児を養うごとく、「意」をかけ続けるのですが、その8-9ヶ月目ぐらい、まず「真息」になり、それから「胎息」になります。それは自分ではっきりわかりますが、身体の内部で呼吸し、もはや「口や鼻」では息をしなくなるのです。仙道に「真息絶えて、胎息現る」という言葉がありますが、これは「真息を長く続けていると自然に胎息に入れるようになる」という意味です。もともと太古には、この「胎息」を行う方法が独立してあったようで、老子などはこれを行じたのではないかと思いますが、その後いろいろな� ��法を習合して現在の「内丹法」が出来上がっていく過程で「仙道内丹法」の中に入り込んで全体の行の一部になったと思われます。伝統的な仙道では「胎息訣法」というものが沢山あります。一例を挙げると、まず「叩歯」を36遍やって、頭を右からぐるりと一回り。その後亀のように首を持ち上げ、腹式呼吸で出来た息を喉まで上げてきて、これを呑み込むこと3回。終わったら口を閉じて舌で歯の内外を撫で回して津液(唾液)を沸かす。この唾液を呑みこみ、観念でもっ泥丸(頭)にあげ、さらにそれを五臓六腑に観念で持って下ろしていく。いろいろな「胎息法」はあるようですが、「津液をまず観念で泥丸にあげ、その後体内隅々にいきわたらせる」という方法のようです。

「陽神」

 

 Q;春桃原さんが現在つくっている陽神ははじめて陽神が確認できたころに比べて大きくなったり形がはっきりしたりしましたか教えてください。また陽神は人間大にまで大きくなると考えていますかいませんか。春桃原さんの文章を読むと脳から首にかけてある陽神とは別に肉体全身を包むような気の固まりも全身にそってあるそうですが

 


 A;「陽神」についてのお尋ねですが、なかなか表現が難しいように思われます。私はただ、「伍柳派仙道」の作法にのっとって、順次進んできて、ここに至っています。それが唯一絶対のあり方というわけではなく、恐らく「千人」いれば、千人なりの考え・資質・手法・感受性があるようなのがこの「仙道」の道かなぁと思います。だから「仙人」なんちゃって、、。
ところで「陽神」ですが、多分私なりの感じだと思いますが、「陽」の「意識」。つまり通常は「陰」と「陽」からなる「神」(意識)の中から「陰」の部分を取り除いた部分が「陽神」だということです。そのために「大薬」を作り、「丹」を作り、かたちを現してきた「神」にたいして、「座忘」を繰り返して、「陰神」を抜いていくという作業を 行うわけです。ただそうしてできてくる「陽神」も、自分には何となく感じられるものの、「質」もなく「形」もない、という類の存在であると思います。修練を重ねれば、自分のうちでの「陽神」の存在が次第に明確になってくるというだけで、何らかの具体的な「形」をとるものでもないとお思います。「陽神」を体外に出し入れする「出神」という修練は、体内で育ててきた「陽神」を「虚」になじませるためのもので、これをまた何十年もやっていけば、「虚」になじんだ「陽神」は、時空をこえる存在になっていく可能性もあるのでは?という気がします。これは「可能性」です。そうならないかもわかりません。あるいは瞬間的に時空を超え、可視的な存在となりうる可能性もあるかもしれませんが、これはあくまで「可能性� ��で、確約
されてもいず、保証されているわけでもありません。疑わずに、修練を続ける以外に修練者には道はありません。将来のことはわからず、確約もできない、それが「陽神」の存在というだけのことです。

 



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